場所とモノで戦争の記憶と歴史を繋いでいく / デジタルアーカイブが広げる「パブリック」な考古学【後編】~慶應義塾大学 文学部教授 安藤広道様~

【前編の要約】
【前編】は、先史時代の研究を長年行っていた安藤様が、アジア太平洋戦争期の戦争遺跡の発掘調査を通じて、「パブリック」な考古学に取り組むようになった経緯についてお話しいただきました。

【後編】では、「パブリック」の視点から作成されたデジタルアーカイブが、戦争遺跡を「記憶や歴史を学ぶ場」から「未来へつないでいく場」とするための取り組みについてご紹介します。

― 今のお話で安藤先生の目指す公共考古学にはディレクトリ構造ではなく、グラフ構造のデジタルアーカイブが適していることが分かりました。では、そこからさらに、なぜ「地図型」のデジタルアーカイブを試みようと思われたのでしょうか。

安藤先生:地図型デジタルアーカイブの一つの利点は、地図上で特定の場所と情報をリンクさせることで、その情報がより具体的で鮮明に感じられ、場所の印象も深まることです。

地図上に情報を貼り付けていくデジタルアーカイブでは、何かひとつの情報を選択すると、その場所に関連する予期していなかった情報も同時に視野に入ってきます。

こうした“寄り道”によって興味・好奇心が刺激され、思考の枠が広がっていくーーこれは、モノや場所の歴史や記憶をめぐり、さまざまな立場からの語りを大切にする公共考古学の考え方に非常に適しています。

加えて、誰でも無料でWeb上にマップが作れるアプリケーション『Stroly』【3】を知っていたことも大きな要因です。既存のアプリケーションを使って簡単に地図型デジタルアーカイブを作れることを示すことで、他の地域でも同様のアーカイブを作りたいと思う人が現れるかもしれないと考えました。


鹿屋市指定文化財「川東掩体壕」に関連する様々な情報を掲載している。
(出所) 鹿屋戦争アーカイブMapより抜粋・加工して筆者作成

― なるほど。実際「鹿屋戦争アーカイブMap」【4】を作成し、運用する中で、何か課題はありますでしょうか。

安藤先生:双方向性が依然不足している点が課題です。「鹿屋戦争アーカイブMap」には、意見や感想を送信できるSNSアカウントのリンクやメールアドレスを掲載し、誰でも地図型デジタルアーカイブの作成に参加できるようにしています。

しかし、実際には批判を含めた意見や情報提供は期待したほど増えていません。

この「鹿屋戦争アーカイブMap」も、新型コロナウイルスのパンデミックをきっかけに、急遽作成したもので、まだ不十分な点が多くあります。今後は、利用者がどのような部分に関心を持っているのかを知るとともに、より多様な立場からの“眼差し”を取り込んだデジタルアーカイブにしていきたいと考えています。

戦争遺跡をめぐる記憶や歴史がつながっていくために

― 安藤先生はこれまで「パブリック」の視点からの戦争遺跡の保存・活用に取り組まれてきましたが、日本における戦争遺跡の保存・活用に関する「パブリック」の意識は、諸外国と比べてどのように感じていますか?

安藤先生:ヨーロッパでは、近代化は世界を平和で豊かにしてくれるものだと信じ、近代化を推し進めてきましたが、実際には、20世紀に2つの世界大戦が勃発しました。そのため、「近代化の道筋は本当に正しかったのか」と問い直す意識が、学術の枠を超えて広く「パブリック」にも浸透しています。

歴史や記憶が語り継がれるためには、それに関わる「モノや場所」が現存していることが不可欠です。日常的にそうした「モノや場所」に接することで、歴史や記憶は「パブリック」に深く浸透していきます。ヨーロッパでは、戦争遺跡や戦争の記念碑を保存、また「つまずきの石」【5】のように、「記憶をつなぐための新たなモノ」を設置するなどを通じて、戦争の歴史や記憶を振り返る取り組みが行われてきました。

それに対して日本では、残念ながら戦争を振り返り、戦争について考えることの重要性が十分に根付いていないと感じています。

戦後、日本は急速な経済発展を遂げましたが、その過程で過去の過ちに“触れないようにする”意識が強まり、結果として戦争の歴史や記憶を伝える「モノや場所」の重要性も十分に認識されていないのではないかと思います。

―今後、安藤先生の捉える「パブリック」の考え方が日本で根付くために、デジタルアーカイブの利活用はどのようなメリットをもたらすと考えていますでしょうか?

安藤先生:まず、デジタルアーカイブの利活用によって、さまざまな立場から提供される多様な情報に触れ、「モノや場所を直接見たい」という気持ちが高まる機会が増えることでしょう。

一般的に、デジタルで情報を提供すると、逆にモノや場所を直接見たいという欲求が薄れるのではないかという不安の声もありますが、私はそのようなことはないと考えています。

例えば、ミュージアムズ・アソシエーション【6】が2005年にロンドン大学に委託して行ったイギリス国内の博物館調査では、コレクションの情報を提供すればするほど実物に対するアクセスが増えることが分かりました。情報量が増えるほど、人々はモノや場所に直接触れたいという欲求が高まるのです。

実物に触れることで、それぞれの経験や知識に基づく多様な意見や感情が生まれていきます。そして、その実物に触れて感じたこと、思ったことを他の人々と対話することで、自分一人では気付けなかった新たな視点に目が向くようになります。こうした対話を通じて、多様性が当たり前と感じられる世界が広がっていくことを願っています。

デジタルアーカイブをうまく活用すれば、実際の「モノや場所」は、単に「記憶や歴史を学ぶ場」としてだけでなく、「さまざまな考え方に触れ、対話と発見を促す場」に変えていけると考えています。それによって、「パブリック」の場としての意味や、唯一絶対の正しさを求めるよりも、複数の正しさを受け入れることの大切さが実感できるようになると思っています。研究活動を通じて、そのプロセスに関わっていけたら嬉しいですね。

聞き手:最上 治子

脚注

Stroly【3】
Stroly(ストローリー)は、株式会社Strolyが運営するサービスであり、位置情報(GPS)と連動したイラスト地図のオンラインマッププラットフォームの企画・開発・運用を行う企業。

鹿屋戦争アーカイブMap【4】
慶應義塾大学の安藤広道教授と鹿屋市平和学習ガイドの方々で作成した、デジタルアーカイブマップ。地図上に鹿児島県鹿屋市一帯のアジア太平洋戦争に関する戦争遺跡や文献、体験談などの情報を集約させ、「情報の経験」を拡張することを目指す。

つまずきの石【5】
ホロコースト犠牲者の名前や生年月日などが刻まれた真鍮のプレートで、1992年から犠牲者の住居や職場に近い路上に設置する運動が行われている。

ミュージアムズ・アソシエーション(Museums Association )【6】
イギリスの博物館、ギャラリー、文化遺産の専門家と組織の為の専門的な会員組織。

【参考文献】
UCL Collections for People Museums Stored Collections as a Public Resource
Alice Stevenson , Francesca Monti.
UCL Institute of Archaeology.

プロフィール

慶應義塾大学 文学部 民族学考古学専攻 教授
安藤 広道様

慶應義塾大学大学院 文学研究科 後期博士課程史学専攻単位取得退学。
横浜市歴史博物館学芸員、東京国立博物館研究員を経て、現在、慶應義塾大学文学部教授。
現在の専門は近現代考古学、特にアジア太平洋戦争期の戦争遺跡の調査・研究を行う。公共考古学的アプローチとして、研究成果を軸に『鹿屋戦争アーカイブMap』等の情報公開、運営を行う。